天使病−I'm Maria.−
わたしはまりあさまよ。
わたしはまりあさまなの。
わたしはかみさまといっしょにいるわ。
わたしはずっとかみさまのものよ。
かみさまがわたしをえらんだの。
おろかなにんげんにさばきをくだしなさいって。
あとにしゅうかんよ。
それまでにくいあらためないとわたしがあなたたちをころしちゃうんだから。
ああ、くいあらためなかったわね。
じゃあまりあさまがかみさまにかわってさばきをくだすわ。
しけい。
あはは、しけいしけいしけい。
しんじゃえ、みんな、しんじゃえ。
もうすぐ春が近づこうかという三月はじめ。住宅街の少し奥まった所にその建物はあった。
少しすすけたコンクリートの建物。隣の家で火事があってそのあおりを受けた。
隣の家は焼け落ちたまま後に誰か入る様子もなく、建物は汚れも落とさずたたずんでいた。
<柏木 雷蔵探偵事務所>
それがこの建物の名前だ。
その事務所の二階で男が紙を見ていた。
安っぽい応接用のソファーの向かい側には白衣を着た男が座っている。
「で、これが?」
男はつまらなさそうに薄っぺらいコピー用紙を返した。
柏木 雷蔵。“その筋”では有名な探偵だ。
いつもつまらなさそうにしているがしっかりと相手の話を聞き、様々な事件を解決してきた。
「五月家一家殺人事件の生き残り、弟君の証言ですよ」
めがねを直しながら白衣の男が答えた。
越前 カムイ。雷蔵の大学時代からの親友であり、遺伝治療を主に担当している医者だ。
「それで、それがどうかしたのか?」
雷蔵はいつも通りつまらなさそな顔だった。しかし親友であるカムイにはそれが違って見えるらしい。
心なしウキウキした口調でカムイは話し続ける。
「まあ犯人は進行性奇形肢骨形成病、通称天使病末期の妹。発症原因は両親の不仲。
離婚騒動とか物飛んだりとかよく目撃されてますね。
かろうじて逃げ延びた弟君が僕の所に逃げ込んできたわけですよ」
「……で、妹は死んだのか?末期なんだろう」
「いや、それがですね……」
再びめがねを直し、一拍置いてカムイは言った。
「生きてるんですよ、もう事件から三日経ってるのに」
雷蔵の眉がピクリと動いた。机の上に落としていた目線がスルリと上がる。
ああ、これだこれ。カムイは心の中で悶えた。
別にそっちの趣味があるわけではないが、雷蔵のこの目線がカムイは好きだった。本人に言ったら殴られたが。
「……それで、俺にどうしろと?」
「雷蔵さん、こういうの好きでしょ?できれば“検査”に付き添って欲しいわけですよ。
今回はじめて末期患者が生きてますからね。原因の推測は僕より雷蔵さんの方が得意でしょうし。
大丈夫、僕の付き添いです、って言えば全部通りますから」
ニコニコ笑うカムイの言葉を皆まで聞かず雷蔵は立ち上がった。帽子掛けにかけられたトレンチコートをとる。
「どうした?行くんだろう」
うっすらと口の端を持ち上げ、問いかけてくる。色々たまらなくなってカムイはその場で身悶えた。
当然、雷蔵の蹴りが飛んできたわけだが。
痛む肩をさすりながらカムイは外に出た。雷蔵の事務所の傍には桜並木があったが、まだ咲いていなかった。
まあ当然か。まだ三月の初めだ。
「そういえば息子さんとは会ってるんですか?」
ふと思い出して聞いてみた。この男は妻と子供とは別居中だった。
「あー……次に会うのは四月だな」
「そうですか。ちゃんと会ってるんならいいんですよ」
空を見上げる。灰色に染まった曇天の空がそこにはあった。
「それじゃあ行きましょうか」
「ああ」
二人は歩き出した。