「彼」がもういないことなど、わかっている。

一握の夢


「……む?」
 ふと、サンゼルマンは周りの景色の相違に気付いた。
 自分がいたのはいつもの屋敷の書斎だったはずだ。
 しかし今いるのは白い曇天の空の下に広がる緑の草原。
 サンゼルマンは眉をひそめた。自分が何故こんな場所にいるのかわからない。呼ばれたにしても、呼ばれる理由がない。何か自分が呼ばれなければならない緊急の事でも起こったのだろうか。
 と、それが目に入った。
「――あ――」
 ドクン、と心臓がはねた気がした。そのくらい、目に映った光景は信じがたいものだった。
 サンゼルマンは走った。それの元へ。走ったのなんていつ振りだろう。それぐらい、自分の目で確かに見て、自分の手で確かに触れないと信じられない光景。
「ジークフリート!」
 名前を呼ばれて彼はゆっくりと振り返った。
「あ――伯爵、お久しぶりです」
 困ったように少年は笑った。
 銀の髪に蒼い目、端正な顔立ち。何よりも腰に下げた不釣合いな大剣。
 彼は紛れもなく死んだはずの英雄、ジークフリートだった。
「ど、うしたん、だ」
 全力で走ってきたから息が切れる。それでも構わずサンゼルマンは聞いた。
「あ、いえ……ちょっと人に頼みまして」
「人に?」
「ええ。……叶う物ですね、意外と」
 呟いて、ジークフリートはまっすぐにサンゼルマンを見上げた。
 こうしてみるとまだ年端も行かない、小さな少年だ。大人びた表情をしているとはいえ、その事実は変えようもない。精神的にもまだまだ子供だったように思える。
 生きていても、良かったのではないか。彼女の逆鱗に触れたとはいえ、もう少し寛大な処置をしてやってもよかったのではないか。

 疑い始めたら、キリがないけれど。

「紅茶、飲みにいけなくてすみません」
「……貴公が謝る必要はない」
「そうですね。でも言わせてください」
 笑う彼が死んだとはとても思えなくて。けれど、それは事実として確かに己の記憶に刻まれていて。
「……駄目ですね、話しているとどうしても未練が生まれる」
 悲しそうにジークフリートは笑った。
「本当はこれだけ言おうと思ってたんです」
「――ジーク」
「すみません、伯爵……もう少し話していたいけど、そうもいかないんです」
 手を伸ばしたいのに、伸ばす事は叶わなくて。
「伯爵、どうかお元気で」







「ジークフリート!」
 手を伸ばした瞬間、ザァッと強い風が吹いた。紙ふぶきを散らすかのように景色が飛んでいく。その風に視界をふさがれ、サンゼルマンは思わず目をつぶった。
 ようやっと風が収まり、サンゼルマンが恐る恐る目を開けると、そこに広がっていたのは草原などではなく壁も天井も床も白い、気が狂いそうな部屋。
「……一時の邂逅は楽しめましたか、不死の伯爵」
 気がつけば目の前にはツインテールで黒いマントを羽織った少女が立っていた。どこにでもいそうな平凡な少女なのに、何故か目が奪われる。
「……ジークフリート、は」
「もう死んだ」
 あっさりと少女は告げる。
「――そうか」
 わかりきっていたのに――ギシリ、と何かが軋んだ音がした。
「最期に一言だけと、懇願したから。叶えてあげたのだけれど。それは不死の伯爵、あなたも同じだったはず」
「そうだな……」
「……泣いているの?」
「……どうだろうな」
 ヒンヤリとした彼女の手がそっと、頬に触れる。
「泣きなさい。ここでなら誰も咎めはしないから」
「――そうか」


 ただ嘆くのであれば。
 小さな英雄の、変わることのなかった意志を。




☆後書き☆
 一応ジーク哀悼小説。
 ある意味伯爵大好きだ小説(何)
 ジークがもう出てこないのかと思うと寂しいです……
 が、しかし、そこは二次創作。多分僕のサイトでは、ジークはこれからも遠慮なく出続けます。
 今はただ、舞台を去った一人の役者に哀悼の意を。
inserted by FC2 system